「私立探偵ジャック・テイラー シリーズ」

「私立探偵ジャック・テイラー シリーズ」

ケン・ブルーウン

ハヤカワミステリ文庫

東野さやか 訳

 

舞台は、アイルランドのゴールウエイ。

 

2作目『酔いどれ故郷に帰る』の依頼主は、「ティンカー」。

注には、アイルランドの漂泊民のこと。いわゆるジプシー)とある。

 

ネットで検索したら、「アイリッシュ・トラベラー」が一般的な呼称らしい。

YouTubeで検索すると、ストリートファイトの映像、結婚式の映像が多い。

 

The Fureys(ザ・フューリーズ?)というバンドを発見。

メンバーは、ティンカーとして生まれ育ったよう。

 

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依頼主のティンカー、スイーパーが「自分の育ちが歌われているのを、初めて聞いた」と言った歌。

Jhonny Duhan(ジョニー・ドゥーハン)の「just another town」。

 

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Phil Ochs(フィル・オクス)というミュージシャンは、ボブ・ディランより有名だったけれど、名声を失い、アル中になって、チェルシーホテルのボイラー室に寝泊まりして、縊死して人生を終えた。

バー「ネスターの店」の店主ジェフ曰く、でも彼は、三曲の偉大な曲を遺した。

「サルヴァトーレ・アレンデとの晩」、「クルーシフィクション」、「木の葉の丘」。

 

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ある朝、テイラーは、何か悪い夢を見て、コカインの汗にまみれて目を覚ました。

そして、「敵が来る」と呟いた。

そんな朝に、「みじめな気分」というものを思い出す。

Kris Kristoffersonは、飲んだくれの絶望を歌った。「Sunday morning coming down」。

 

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一作目は、『酔いどれに悪人なし』。

翻訳はこの2冊で終わっているけれど、今、11巻まで続いているよう。

翻訳して欲しい。

文章が短いから、私でも原文で読めるだろうか。

 

 

「エーランド島四部作」

エーランド島四部作」

ヨハン・テオリン

ハヤカワミステリ文庫とハヤカワポケットミステリー

三角和代 訳

 

『黄昏に眠る秋』

 

幼い息子が行方不明になって以降荒れていたユリアが、変わっていく。

 

つかのまユリアは、無駄にしてきた歳月をずしりと胸にのしかかる圧力のように感じた。いなくなったわが子を想って嘆くことが、子供との楽しい思い出よりもはるかに大切なことになっていた。楽しい思い出は慰めを与えてくれたはずだったのに。悲しみの黒い穴に溺れかけ、人生を逃げていた。

 

こんな風に捉えることができるようになったのは、人を愛する気持ちが生まれたから。

自分を許し、他者を許し、ちゃんと生きようと思う。

 

そして、ユリアはイメージする。

 

あの子は海に対する恐怖を克服して水際の岩場を、小さな男の子ならみんなやるように、跳ねて飛びはじめ、足を滑らせたのだ。

 

でも、これは憧憬。

 

その後、ユリアは真実を知り、憧憬は崩れ去った。

真実を導き出したのは、ユリアの父親で、シリーズの主人公イェルロフ。

 

イェルロフは好奇心が強く、疑問を放置しない性格。

それは、人を救うことでもあり、人を追い詰めることにもなる。

 

イェルロフは、娘ユリアを救った。

壊れていた家族の絆が、再び繋がる。

 

物語の最初、イェルロフは、疎遠になっていたユリアに電話をかける。

それは老人ホームからで、イェルロフは、とても老いた感じがする。

 

でも、問題を解決するために考え、行動することで、気力が戻っていく。

 

この後、シリーズは、冬、春、夏と続く。

春には、老人ホームを出て、我が家での一人暮らしに戻る。

 

ユリアに、生きて老人ホームを出る人はいないと呆れられながら。

 

夏の巻で、イェルロフは、最後の夏だと予感する。

これは、予感で終わった。

 

夏が終わったら、一人で厳しい冬を越えることは無理なので、老人ホームに戻らねばならない。

 

…あぁ。

 

でも、シリーズの最後のシーンで、イェルロフがやっぱりイェルロフらしかったので、良かった。

 

 

『冬の灯台が語るとき』の、猛吹雪のクリスマス、ウナギ岬の屋敷のシーンが好き。

 

屋外の乱闘と、屋内で守られた家族たち。

家族は、亡くなった妻と母に守られたに違いない。

 

この空気の違いが、生々しい。

 

 

『赤く微笑む春』

石工の一家が、悲しい。

彼女は、これから幸せでありますように。

 

 

『夏に凍える舟』

レードトルプの一家が、悲しい。

彼女は、これから幸せでありますように。

 

この巻のストーリーとは関係ないけれど、ある男性が、イェルロフを訪ねる。

このシーンも良かったな。

彼にも、幸せになって欲しい。

 

 

 

『許されざる者』

許されざる者

レイフ・GW・ペーション

創元推理文庫

久山葉子 訳

 

第一部のエピグラフ

「目には目を……」

 

第二部のエピグラフ

「目には目を、歯には歯を……」

 

第三部のエピグラフ

「目には目を、歯には歯を、手には手を……」

 

第四部のエピグラフ

「目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を……

 

最後第五部のエピグラフ

「いかなる慈悲をも与えるな。命には命を、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を……」

 

 

法に依らない制裁に、慈悲は無い。

 

 

マックスが、お父さんと重なる。

同じ道を進んでいくのか。

重いものを背負ってしまったのだろうか。

それとも吹っ切れたのか。

 

おぞましい犯罪とおぞましい制裁。

でも何故か、読み終わると豊かさを感じた。

 

主人公の、国家犯罪捜査局の元長官、ラーシュ・ヨハンソンの子供時代の時間が豊かだったから?

 

警察官として現場で働いていたころの充実感。

愛する人の幸せを想う包容力。

自分が築いた地位と信頼関係。

 

元長官の、その後の人生も豊かだったから?

 

 

元長官ヨハンソンが、コールドケースの犯人を特定する小説。

事件発生当時、捜査を担当して解決できなかったのがベックストレーム。

犯人が分かった後、ベックストレームが新たな無能ぶりを発揮するオチがある。

 

 

生まれてこなかった少女に、ヤスミンの悲しさや寂しさを感じる。

 

「チビでデブで無能な警察官ベックストレーム・シリーズ」

「チビでデブで無能な警察官ベックストレーム・シリーズ」

レイフ・GW・ペーション

創元推理文庫

久山葉子 訳

 

『見習い警官殺し』。

 

犯人が分かった後、一人の女性が自殺する。

一通の封書を受け取ったことが引き金になって。

 

自殺だけれど、殺人でもあるような。

この女性は、見習い警官が殺されたのは、自分のせいだという罪の意識を抱えていた。

届いた封書は、そんな彼女を追い詰めた。

 

この封書を送ったのは、誰なんだろうか。

あの男性?

 

警察は、殺された見習い警官リンダの父親は、彼女の日記を隠していると考えていた。

恐らく、隠していた。

 

父親は、日記の中の、ありのままの娘の姿を受け入れられなかったのだろうか。

 

警部補で、哲学博士の女性の論文が、最後に載る。

スウェーデンでは、殺人事件の被害者が女性だった場合、彼女の名前が、殺人事件の接頭辞に付く。

それは何故かという考察。

 

原題には、「リンダ」という名前が出てくる。

何故、翻訳のタイトルでは、外したんだろう。

 

ベックストレームが捜査の指揮をとっていた時は、狂騒曲に笑った。

でも、犯人が特定されてからラストまでは、シビア。

重く、暗い読後感。

 

『平凡すぎる犠牲者』

 

あのベックストレームをタジタジとさせる登場人物が、複数出てくる。

みんなぶっ飛んでいるけれど、ソルナ署犯罪捜査部捜査課警部補モトエレが最恐。

 

エピグラフに、「これは、大人になった子供のための恐ろしいおとぎ話である」とある。

 

最後に、手帳の謎が解き明かされて、どん引いた。

手帳の謎に引っ掻き回されて、とんでもない展開が繰り広げられていた。

 

エピグラフの前半は、「ある犯罪についての物語」とある。

 

そう、これは、おとぎ話で物語。

 

『平凡すぎる犠牲者』の読後感は、もう勝手にして。

 

 

「あずみの森17 特典」

「あずみの森17 特典」

 

ぴょんぴょん跳ねてる人がミチロウさんって、言っていたけれど…。

何回か見直したんだけれど…。

その人ではない人が、ミチロウさんに見えてしまう。

 

本編に、リクエストをコメントしてみた。

一曲に絞れなくて、3曲挙げてみた。

(取り上げてくれそうもない3曲だな)

 

「ベトナミーズ・ゴスペル」は、最後まで候補に残った一曲。

候補から外したら、なんとも豪華な「ベトナミーズ・ゴスペル」がやってきた。

 

楽しい思い出の中には、宝物に変わるものがある。

宝物に変わると、思い出は穏やかな光を発して、心を暖めてくれる。

思い出を宝物に変えるのは、喪失。

 

 

「あずみの森 17」

「あずみの森 17」

 

ガットギターの「キミノキモチ」に、しみじみする。

 

ショパンノクターン(だったっけ?)も、聞いてみたかった。

 

ガットギターの一音一音感も、いいな。

 

それに比べて、エフェクターを試している時のエレキギターの音、うるさい。

でも、曲になると、素敵。

 

先日、なってるハウスで最後にやったのは、「春がいっぱい」という歌だった。

 

別れの歌だった。

嫌いあって憎しみあって別れるのではない、別れ。

 

虹は光の亡骸という言葉が、不思議。

 

これが、別れる時に言われた言葉だったら、あの娘、健気。

 

別れの直後に、あの娘がそう言っていたと思い出したのかな。

そうだとしたら、あの娘、二人の時間に幸福を感じながらも、心のどこかで別れを感じていたのかも。

 

「spring nearing here」で、「春がいっぱい」。

 

映画「太陽がいっぱい」の原題は?と思い、調べてみた。

「plein soleil」。

Pleinは、沢山とか、完全とか、満ちているとか、いっぱいの意味。

そのまんまだった。

 

のたり松太郎」は、知らない。

巨体の相撲取りらしい。

 

松太郎は、何が理由で、生まれて初めて泣いたんだろう。

 

私は、AZUMIさんの話を聞いていて、ミチロウさんの「Sha. La. La」が浮かんだ。

 

 だから踊れ 足のないタコのように

 踊れ 毛のはえたタマゴのように踊れ

 

特典映像、楽しみ。

 

そういえば、前回から、AZUMIさんが撮ったのであろう動画が、全画面になっている。

 

 

AZUMI

2021年11月27日(土)

入谷 なってるハウス

AZUMI

 

パッチワークのようなインストの後、楽しみにしていた歌の一曲目は、「あとはゆっくり眠るだけ」だった。

 

やさしい始まり。

 

まぼろし」、「水のにおい」、「ここにだけ」、「ヨシロー」に、河(川)を想った。

 

「ヨシロー」に川は出てこないけれど、「あずみの森」で見た、川沿いを進む映像が浮かんだ。

あの映像が、「ヨシロー」のものだったかどうか定かではないけれど。

 

あの映像の川は、何川なんだろう。

 

アコギの「ヨシロー」、激渋カッコイイ。

 

桜川は、道頓堀川のちょっと南側にあった。

17世紀末に掘られて、大正4(1915)年に埋められた。

埋め立てられて、今の千日前通りになった。

 

AZUMIさんのおじい様は、材木が浮かぶ桜川を目にしていたかもしれない。

 

以前、新潟でライブを楽しんだ後、ホテルに戻るために萬代橋を渡った。

渡っている時、突然、両親のことを思い出したことがあった。

母親は、この橋を渡って、父親のところにお嫁に行ったんだなぁと。

 

タクシーの運転手さんが出てきた時、「誰だろう」と思った。

あっちの世界へ行った誰かが、運転手さんになっていると思ったのだ。

 

でも、そうではなかった。

 

運転手さんの最後の言葉、「地獄にもお連れします」みたいなの、怖かった。

お客さんが「地獄」という行先を指定するのではなくて、勝手に連れていかれる感じがして。

 

幽霊を乗せてしまったタクシー運転手さんの怪談は、聞いたことがある。

運転手さんが幽霊というタクシーに乗ってしまった、という怪談はあるのだろうか。

 

乗ったら、どこに連れて行かれるんだろう。

 

「夢見るベランダ」を、ライブで初体験。

これは、「あずみの森」の、「ザ・たこさん」回のおかげ?

 

「シスコ」と同様、愛おしい歌。

 

やっと実物を見ることができた新しいエレキは、ずっと脇に控えていた。

 

エレキは、最後に2曲。

最後の歌は、初めて聴いた。

 

「左の胸」、「左の手で握手」から始まった。

その後、どう展開したんだっけ。

 

絵本『めがさめた』を購入した時、常吉さんのライブに行っているのかと聴かれた。

 

現在形だった。

だから、現在形で、「行っている」と答えた。

 

帰り、地元の駅に降りて、煙草ではなくてお酒を買うためにコンビニに入ったら、客は私だけだった。

 

そして、一本道を歩いている時も、誰もいなかった。

 

橋の上で、北東の、街に触れそうな低い位置に、大きい下弦の月を見た。

柿色を思うくらい、熟した感じの濃い黄色だった。

 

橋の下に川が流れていると、今夜のライブの締めにちょうど良かったんだけれど、橋の下は線路。

 

それにしても、AZUMIさんのアコギの音、凄いな。

 

なんで、ボリュームとかのツマミもなくて、エフェクターにも繋がっていないのに、あんな色んな、あんな迫力のある、あんな幅のある、あんな深い音が出るんだろう。

 

2年ぶりの、AZUMIさんの生ライブ。

幸せ。