『婆沙羅/室町少年倶楽部 山田風太郎傑作選 室町篇』
河出文庫 2020年
無常観。
『平家物語』の無常観とは、違う。
時代が下って、変化したのだろうか。
鎌倉時代の人は、「無常」に流されていた。
室町時代の人は、「無常」を表現しようとした。
そんな感じ。
婆沙羅も、「無常」の一種の表現かもしれない。
「室町の大予言」に、赤松左馬助則繁(さまのすけのりしげ)という武将が出てくる。
気になったので、検索してみた。
1400(応永7)年 誕生
1424(応永31)年
細川持之屋敷の花見の時に、将軍の家臣を殺害したため。
1428(応永35)年1月 将軍義持が亡くなって、姿を現す。
1441(嘉吉元年)6月24日 嘉吉の乱。
この嘉吉の乱は、作品に出てくる。
則繁ら赤松一族は、将軍義教の首を掲げて、播磨に帰国。
同年 9月10日 播磨より脱出。
山名宗全を中心とした討伐軍に負ける。
赤松領主であり兄でもある満祐は、城山城で自害。
則繁は、赤松家再興をかけて脱出。
朝鮮で暴れまわる。
1443(嘉吉3)年
朝鮮王朝から、室町幕府へ、則繁討伐の訴えがあった。
1448(文安5)年1月 日本に帰国
少弐教頼を助けて、大内教弘と戦うも、敗北。
同年 8月8日 死去
播磨に戻ろうと思うも、山名宗全の領国になっていて戻れない。
河内の畠山氏を頼る。
奈良の当麻寺で、討伐軍に包囲されて自害。
嘉吉の乱後の戦いの際、則繁は、山の岩肌に、油を浸みこませた竹の皮を敷き詰めた。
敵の足が滑って、攻めてこられない作戦だった。
でも、火を放たれて、落城。
この戦いで亡くなった兵士たちの骨は、明治初期まで、山の各所から出てきた。
合掌。
則繁は、筑前に子を遺していて、その子は佐伯氏に引き取られた。
成長して、善防山の麓に戻った。
ご子孫は、今もそこに暮らすそう。
赤松則繁が主人公の小説、ないのかな。
面白そう。