『小説河内風土記 巻之一』

『小説河内風土記 巻之一』

今東光

昭和52年 東邦出版社

 

面白い。

 

今東光は、昭和26年から昭和50年まで、八尾市の天台院で住職をしていた。

その時に触れた、河内の人情風俗を短編小説集に仕上げたもの。

 

野卑で、泥臭くて、無遠慮で、エロで、ケチ。

そして、時々、落語のようで、漫才のよう。

 

 

河内音頭も出てくる。

 

青年団下呂温泉に行く『ド根性』。

一升瓶を2本持ち込んでの、汽車の旅。

青年団の団長は、皆が、酔っぱらって、河内弁で声高に話すのを恥ずかしく思っている。

他の乗客は、眉をひそめている。

 

そんな中、突然、泥亀と呼ばれる人が、信じられないことを言う。

「では、河内音頭やろ」

 

団長が止めると、泥亀が怒る。

「今やったらあかんのか。よオ。汝(われ)はどんな甲斐性があって、わいを止めさらすんじゃ」

 

『夜の客』には、若い女性の音頭取り、お栄が出てくる。

お栄の哀調こまやかな旋律は、聴く人の心を慄然とさせた」そう。

でも、色恋の絡んだ嫉妬から、水銀を吞まされて声を潰された。

 

河内音頭』は、音頭の晩に出会った男女の話し。

 

音頭がある日、今東光が、後家のおばあさんの家にお経をあげに行くと、食料品店の隠居のおじいさんが遊びに来ている。

幼馴染の二人が、昔の音頭を懐かしんで、久しぶりに見に行こうか、久しぶりに踊ってみようかと話している。

 

年を取って、こんな共通の昔を懐かしめる友達がいるのはいいなぁと思った。

でも実は、若い時、音頭の晩に、ともに配偶者がいるのに間違いを犯してしまった二人だった。

 

そういうことはよくあったのだろう。

ただ、二人は関係を断てなくて、さらに女性の方の旦那さんが強烈な人で、女性も強烈で、男性も強烈で…。

 

とても短い作品だけれど、この穏やかな日が訪れるまでは、修羅のような、ドロドロの日々があったのだろうと想像されて、恐ろしい。

 

隠居の奥様は、どんな人だったのだろうか。

 

 

河内音頭は、老若男女の楽しみだった。

男だけの楽しみ(?)もあった。

 

『闘鶏』は、男だけの世界。

ド迫力。

 

 

河内の人は、よく、生駒山を眺める。

河内平野に立って考えると、AZUMIさんは、生駒山の西側から、東側に移動したと言える。

 

これからは、生駒の山から小便したら、奈良盆地に虹がかかる…?