『鳥の詩 死の島からの生還』

鳥の詩 死の島からの生還』

三橋國民

角川ソフィア文庫 平成17年

 

昭和16年、21歳の時に応召、ニューギニアに派遣。

分隊員40人の中で、生き残った2人のうちの1人。

昭和21年生還。

 

三橋さんは、沢山の死に立ち会った。

その死に対して、解説にも書いてあったように、三橋さんは、聖職者や医者のように接する。

 

それも、仕事として割り切ってやるのではなく、相手を思う心がいつもある。

 

過酷な状況で、凄惨な死を何度となく見て、しかも未来は無いも同然。

そんな中で、死にゆく人、死体となった人に、人間としての尊厳を持って接することができる凄さ。

 

 

生きて帰った後、経験したことに蓋をする方もいらっしゃっただろう。

三橋さんは、造形美術家として、亡くなった僚友たちへの鎮魂を表現した。

 

2009年の11月に、『ニューギニア未帰還兵展』へ行った。

そこで、三橋さんの展覧会の図録をいただいた。

そして、『鳥の詩』を読むといいと教えてもらった。

 

やっと読んだ。

 

絵画、「小山伍長自決」の小山伍長と、「埋葬」の同年兵である伊藤(伊島)さんのことが知ることができた。

 

 

「佐治衛生兵の死」で、中隊が全滅する数か月前に抱いた感覚が不気味。

 

ニューギニアのすべての情景は、どこかの歯車が異常に嚙みあい、軋みながら動いている回り舞台に似ているように思われた。

 

四囲に展開している大自然の風物を見つめているうちに、その運航そのものがどこかで少しずつ食い違いを生じていて、異常な増幅を繰り返しているような気がしてならなかった。

 

想像以上に、密林を母体としているニューギニアの自然は計りしれない力を秘めていると思われた。徐々に、ひ弱な集団である人間たちの群れは、その質量の中へ嵌めこまれ、とりこまれつつあるようであった。

 

自然は私たち個々の思考力を狂わせていく。

 

今は、中隊の全員が、四囲をとりまく異常な環境に捕捉されていた。誰もが〈正常な思考に基づき中隊は運営されている〉と信じこんでいること自体が異常であることに気づいていなかったのである。

 

 

「救出」の田口准尉、「サマテ飛行場」の田所大尉。

生還できた後の、孤独。