『田舎教師』

田舎教師
田山花袋
明治42年

こんなにさみしい小説だったけ。

主人公は、実在した青年。
明治37年に、21歳で病死した。

一つのさみしさを乗り越えると、新しいさみしさが待っている。
そんな人生だった。

田山花袋は、青年に面識があった。
そして、青年が遺した日記を読んで、小説にした。

自分と同様に、貧しい家に育った青年へ、寄り添う思い。
日露戦争に、記者として従軍して目の当たりにした、青年たちの死。

これらが、多分、執筆の動機。

小説の青年が亡くなったのは、明治37年9月7日。
9月4日に日本軍による遼陽占領があり、青年の住む埼玉県羽生市で、それを祝う提灯行列があったのが、9月7日。

田山花袋は、この夜を、青年の死に定めた。
でも実際には、青年は、同年の9月22日に亡くなった。

『東京の三十年』の中で、田山花袋は、青年が中田遊郭に通ったのは創作だと記している。
でも、青年の死は、提灯行列の日とされたまま。

さらに、青年は、死の前日まで日記を書いていたとある。

…提灯行列の日から、9月21日までの日記があるのだろうか。
あるのだとしたら、読んでみたいな。

いくつものさみしさを乗り越えていった青年が、大きな転機となったさみしさを経験した時、日記に書いた言葉。

絶望と悲哀と寂莫とに堪え得られるようなまことなる生活を送れ

明治時代の一青年の大袈裟な感慨と片付けて済まされない言葉。
人間の永遠の課題かも。