明治36年4月。
羽生市に、東武伊勢崎線の「暫定」川俣駅が出来た。
明治40年8月。
利根川に鉄橋が掛かって、羽生市の川俣駅は役目を終えた。
『再び草の野に』とは、何もない草っぱらに駅が出来て、街が出来たけど、通過駅になってしまったら、街が無くなって、草っぱらに戻ったということ。
4年4ヶ月の間に、その街にあった、色んな恋愛模様が語られる。
無常観もあるけれど、たくましさもある。
人間、生きている間は、どうにか生活していこうとする。
Kは、その後、生きながら生活を放棄した人生を送ったのだろうか。
小学校の先生の日記が引用されている。
街が無くなった後のは創作だろうけど、それ以外は、『田舎教師』の青年の日記?
街は廃墟群になったのではなくて、実際、草っぱらに戻ったのだろうか。
家が取り壊されるとあったけれど、みんなにそうする経済的余裕があったのか。
鉄道会社が費用を負担したのか。
詩のような小説。
出てくるお寺は、千手院?
Rの渡頭の「R」は、どこの頭文字?