陸奥国一宮神社

八槻都々古別神社(やつきつつこわけ)


随神門の天井。


この狛犬は、小松利平という石工が彫ったものとも言われているそう。
実際は、不明。


小松利平は、1804年に、高遠(長野県伊那市)に生まれた。
石工として出稼ぎに出て、福島県に居ついた。
これは、脱藩になるそう。

 

馬場都々古別神社


随神門から拝殿までが一直線でない。
ちょっと、道が折れている。
理由があるのだろうか。


この神社の空間を、もう一巡り、樹木で囲みたい。

 

ここは、西郷頼母宮司を務めた神社なんだね。
入口に「西郷頼母」紹介プレートがあって、支柱に、辞世の句が貼ってあった。

会津嶺(ね)の遠近人に知らせてよ保科近悳(ほしなちかのり)今日死ぬるなりと  

 

この神社から10分くらいの所に、棚倉城址がある。
棚倉藩は、奥羽越列藩同盟に加盟していた。
1868年6月24日に落城。
藩主は白河に出兵中で、その父親が城に火を付けた。

その7年後、西郷頼母宮司として、棚倉に来た。

ウィキペディアからの引用によると…。
頼母は白河口総督として白河城を攻略し拠点として新政府軍を迎撃したが、伊地知正治率いる薩摩兵主幹の新政府軍による攻撃を受けて白河城を失陥(白河口の戦い)。その後二ヶ月以上にわたり白河口を死守したが、7月2日に棚倉城陥落の責任により総督を解任される。