AZUMI

2023年5月27日(土)
野毛 喫茶みなと
AZUMI

「古いレコード」って、こんな盛り上がる?って、可笑しかった。

久しぶりの、「りゅういち」、「just like a boy」。
時の経過が、切ない。
もっと歳を取ると、儚さを感じるのかもしれない。

初めて聴いたと思う歌、少し覚えられた。
このままバラバラになってしまったら寂しいだろうと、ぼんやり考える。
こんな感じではなかったかな?

airplane guitarは、空を飛行機が飛んで、飛行機雲が流れて、虹が架かっているという、絵画のようなギター。
眼福、耳福。

初めての、喫茶みなと。
お手洗いのある廊下に出たら、「深志荘」が思い浮かんだ。
池袋のさびれた裏通りにあるボロアパート」は、こんなだったんじゃないかな。
確か、トイレは共同だったはず。
麦酒を飲んでいたけれど、「ハイボール飲まなくちゃ」と思い出した。
最後の一杯は、ハイボール
お客様が、切れた氷をわざわざ買いに行って下さった。
風間一輝さんの小説に、氷無しハイボールを飲むシーンがあったな。
どこの町のバーでだったろう。

桜木町、野毛は、すごい人出だった。
仲間達と、恋人同士で、家族連れで楽しむ人たち。
その中に、異質な人が目に留まる。
外の世界と関係を持てないのだろうなと、感じさせる人達。
立ち止まっていたり、すれ違ったり、後ろ姿を眺めたり。
幽霊みたいだった。

 

AZUMI

2023年5月22日(月)
入谷 なってるハウス
AZUMI

もっとずっと聴いていたかった。

インストの割合が多かったからかも。
大仏ビートシリーズがインストが多いから、慣れていて心地よい。

初めて(多分)聴く、メロディ、言葉があった。
捉えられない自分には、風のよう、木漏れ日よう。

一部、    春の歌が多かった。
体感的には、ジメジメ感ある日だった。
ライブの前に、今年初の冷やし中華を食べようかとしたくらい。
「思いの下」が始まった時は、「え?」と思った。

明暗の感情・感覚は、季節によって違うな。

一部の最後は、エレキで「鈴懸の小径」。
前奏になるのかな、歌の前のインストがいい感じだった。

 

良元優作+バンド、夜久一

2023年5月19日(金)
代官山 晴れたら空に豆まいて
良元優作服部将典、みしませうこ、大野慎矢
夜久一

合奏、いいなぁ。

「ペンノレ」の前奏、気持ち良かった。

バグパイプの音は、陽気で、うるさいイメージだった。
そうではなかった。
暗さや不気味さを醸す。

夜久さんの合奏ライブがあったら、行ってみよう。

 

夜久一&横山知輝

2023年5月13日(土)
郡山 OLD SHEP
夜久一&横山知輝

夜久さんの熱い部分が、横山さんのベースによって、もっと熱くなる感じ。

夜久さんのギターの弦が切れる音、初めて聞いた。

お二人のライブ、また聴きたい。

福島弁、赤羽のキャッチの言葉。
そして、もう一つ、夜久さんの「もっと来い!!」。

 

 

陸奥国一宮神社

八槻都々古別神社(やつきつつこわけ)


随神門の天井。


この狛犬は、小松利平という石工が彫ったものとも言われているそう。
実際は、不明。


小松利平は、1804年に、高遠(長野県伊那市)に生まれた。
石工として出稼ぎに出て、福島県に居ついた。
これは、脱藩になるそう。

 

馬場都々古別神社


随神門から拝殿までが一直線でない。
ちょっと、道が折れている。
理由があるのだろうか。


この神社の空間を、もう一巡り、樹木で囲みたい。

 

ここは、西郷頼母宮司を務めた神社なんだね。
入口に「西郷頼母」紹介プレートがあって、支柱に、辞世の句が貼ってあった。

会津嶺(ね)の遠近人に知らせてよ保科近悳(ほしなちかのり)今日死ぬるなりと  

 

この神社から10分くらいの所に、棚倉城址がある。
棚倉藩は、奥羽越列藩同盟に加盟していた。
1868年6月24日に落城。
藩主は白河に出兵中で、その父親が城に火を付けた。

その7年後、西郷頼母宮司として、棚倉に来た。

ウィキペディアからの引用によると…。
頼母は白河口総督として白河城を攻略し拠点として新政府軍を迎撃したが、伊地知正治率いる薩摩兵主幹の新政府軍による攻撃を受けて白河城を失陥(白河口の戦い)。その後二ヶ月以上にわたり白河口を死守したが、7月2日に棚倉城陥落の責任により総督を解任される。

『ルポ西成』

『ルポ西成』
國友公司
彩図社 2018年(文庫は2020年)

「もう疲れたやろ?」

これは、ヒットマンが、(主に)西成の路上で、ターゲットに掛ける言葉。
ヒットマンは、貧困ビジネス業者。
ターゲットに声を掛け、生活保護申請に手を貸す。

「もう疲れたやろ」に関わる実話が、2つ出てくる。
ヒットマンが、声を掛けた現場。
ヒットマンの言う通りにして、後悔している人。

『ルポ路上生活』の手配師もすごかったな。
寄り添うことで、ターゲットに惨めな気持ちを起こさせ、追い込んでいく。


読んでいて、奥田睦の『明日なき身』を思い出した。
貧困ビジネスに囲い込まれていくまでの、私小説

作者に不快感を抱くけれど、それを超えるどうしようもなさに戦慄する。

本の最後にある作者の略年譜は、「消息不明」で終わる。


ミネ子さんと尾関さんのシーンは、ほっとした。

 

『ルポ路上生活』

『ルポ路上生活』
國友公司
KADOKAWA 2021年

山谷の炊き出しに参加した時のことを、思い出した。

特に一人の青年のこと。

ボランティアだと思っていたら、路上生活をしているのだった。

そうと知って、とても驚いた。
見た目は、確実に、誰からも違和感を覚えられることなく、バスや電車で移動できる。
話した感じは、少し内気な優しい青年。
何より、若い。
「なんで????」と思った。

この本の中に、上野で路上生活を始めた青年を、周りのおじさん達が面倒を見て、実家の奈良に帰らせたという件がある。

この青年が、何故、家を出たのか分からない。
今は手配師に付いて行って働くことは無理だという、その理由も分からない。
ちゃんと奈良に帰るかどうか分からない。
奈良に帰って頑張れるかどうかも分からない。

でも、周りのおじさん達は、彼に可能性を感じて、普通の生活(自立した生活?)をしていって欲しいと思ったのかな。

自分が出会った青年は、九州か(広い)、山口の出身だった。
過去、テコンドーをやっていた。
ココに来た理由は知らない。
朝(仕事斡旋の時間帯)のセンターは、とても怖いと言っていた。
周りの人(おじさん)達は、よくしてくれると言っていた。

青年は、堅川の河川敷をねぐらとしていた。
当時、堅川の河川敷では、大規模な強制撤去が行われようとしていたような。


高校生だった自分に、「これでコーヒーでも飲みなさい」と500円札を差し出したおじさんの手の指は何本か欠けていた。

おじさんが降りた駅は、南千住。

自分は、電車のドアが閉まる時に、500円札をホームに投げ捨てた。

ずっと気になっていて、山谷に生きる人達と話してみたいと思っていた。
話しはできたけれど、あのおじさんの人生は分からない。

どんな人生だったのだろう。