『うらめしい絵』

『うらめしい絵 日本美術に見る怨恨の競演』
田中圭
誠文堂新光社

甲斐庄楠音の「畜生塚」に描かれた21人の女性の中。
その中に、引っ込んで膝を抱えた少女がいる。

著者は、この少女はお伊万の前(駒姫)ではないかと思う。
秀次の首と対面した女たちが悲しみに打ち震えるなかで、彼女だけはその悲しみを共有できないのである。なぜなら、彼女は生前の秀次に会っていなかったのだから

楠音が「畜生塚」を描き始めたのは、21歳頃。
未完のままで終わった。

83歳で亡くなる二か月前に、最後の展覧会が行われた。
その展覧会の挨拶文で、楠音は「畜生塚」について書いている。

「少年の夢は、途方もなく広がっていったのですが、作品の完成を見ないまま、幻となってしまったのも、当然のことなのかもしれません」

この言葉が、お伊万の前に繋がるような。

11歳で秀次に見初められ、15歳になって、関白となった秀次の側室となった。
山形から京都までの、お輿入れの道中に何を思っていただろう。

でも秀次は、秀吉から謀反の疑いをかけられた。
あっという間に、出家させられ、切腹させられた。

お伊万の前が京都に着いたのは、秀次が高野山で出家した頃だろうか。

秀次の切腹は7月15日。
秀次の遺児、妻妾、侍女ら30人ほどが処刑されたのは、8月2日。

お伊万の前の辞世の句。
 罪をきる弥陀の剣にかかる身のなにか五つの障りあるべき

強いなぁ。

楠音の「広がっていった夢」は、お伊万の前の、関白の側室になるという未来。
それが幻になってしまった。

楠音の「当然のこと」って、どういう意味だろう。
お伊万の前にとっては、仏教思想と武士道。

楠音の「畜生塚」は、仏教思想とも武士道とも無縁。

…楠音の「当然のこと」って、どういう意味?