『恐ろしい美が生まれている アイルランド独立運動と殉教者たち』

『恐ろしい美が生まれている アイルランド独立運動と殉教者たち』
ユーリック・オコナー
訳 波多野裕造
青土社

「恐ろしい」は、血が流れる。
「美」は、アイルランド

多分。

アイルランドは、武力に依らずに、自治を獲得しようとしていた。

そのためには、イギリスの軍に加わって戦争にも行った。
でも、報われることは無かった。

このままでは何も変わらないと、共和主義者達が武力蜂起を起こした。
勝算は無かった。

反乱は1週間ほど続き、降伏。
その首謀者15人が、処刑された。

その死を悼んで、W.B.イェーツが詩を書いた。
「恐ろしい美が生まれている」は、その詩の一節。

武力蜂起は、アイルランドの人々にはあまり受け入れられなかった。
でも処刑は、アイルランドの人々の、独立への思いを強くした。

これが、1917年の「Easter Rising」。


先日、敦子さんが歌った、「The Auld Triangle」。

ダブリンにあるマウント・ジョイ刑務所が舞台の唄。
そこでは、起床を、トライアングルを鳴らして知らせていた。
コソ泥で収監された男が、女性が75人収監されている二階に行きたいなぁとぼやく。

トーマス・アッシュ。
イースター蜂起で死刑を宣告されていたけれど、釈放。
その後、IRB執行委員長として活動。
治安維持違反の疑いで再逮捕。
マウント・ジョイ刑務所に収監。
ハンガーストライキを起こしたが、強制摂食で死亡。
「トーマス・アッシュ哀悼歌」というバラッドが、歌われるようになった。

ケヴィン・バリー。
1920年アイルランド義勇軍とイギリス兵の銃撃戦で、一人の英兵が射殺された。
18歳に医学兵、ケヴィン・バリーが逮捕された。
マウント・ジョイ刑務所に収監されて、拷問を受け、処刑。
「ケヴィン・バリーの歌」が、歌われるようになった。
これも、多分バラッド。

 イースター・ウィークに一束の藁が燃やされ
 ダブリンを長い眠りから目覚めさせた。
 私は戦いの怒りを嘆く、だが
 涙で何が穫ち得られよう?
 長い間バラードの歌い手たちは
 遠い昔の輝ける名前を絶唱し続けてきた
 今こそ彼らに謳わしめよ、三色旗とともに
 昨日、死んだ者たちの名前を。

 グレゴリー夫人がバラード歌手たちについて言っていることは全く正しかった。まもなく夜ともなると街路灯の下で、パブから出てきた客たちはバラード歌手たちが歌を歌いながら紙片を手渡しているのを見るようになる。これはアイルランド人が敗れた戦いの思い出を忘れないように幾世紀にもわたって続けてきた習慣であった。

去年のクリスマスに、「バラッドって何だ?」と話していた。
こういうのをバラッドと呼ぶのだ。