『狂うひと』
『死の棘』に出てくる電報と、脅迫の紙片。
島尾さんの愛人が、島尾家に電報を打ち、島尾家の郵便受けに紙片を入れた。
でも、実際は違うのではないかという意見がある。
島尾さんの自作自演ではないか。
ミホさんの自作自演ではないか。
『死の棘』を読んだとき、そんなことは思いもよらなかった。
でもこの『狂うひと』を読んでいると、ありそうなことに思えてくる。
それどころか、島尾さんとミホさん、二人による自作自演という可能性もあるような…。
行き過ぎたプレイ。
愛人の女性は自死したと、考える人がいる。
その女性はどういう人だったのか。
「妻と子をかえりみずに愛欲に落ちた男の居場所を認めることができた女」。
島尾さんは、芸術院賞を受賞した。
ご自身は、受けたくはなかった。
島尾さんにとって、加計呂麻島で特攻隊の隊長であったことは、戦後、背負う罪になった。
でも、『死の棘』の夫婦の修羅以降、島尾さんはミホさんに絶対服従だった。
受賞を断るつもりだと告げる島尾さんに、ミホさんは言う。
「オネガイ、オネガイ、ミホノタメニ、ミホヘノツグナイノタメニ」
終身年金を受け取って欲しい。
その後、島尾さんは日記に記す。
「(芸術院)入院した事仲々ナットクできぬ。へんに力抜ける。自分の先祖はアイヌ、自分はエミシと思うこと。芸術院など無化する仕事に向かわねばならう。それにしても終身入院とは! 荒廃した気分になる」
島尾さんとミホさんの間の、深い溝を感じる。
島尾さんは69歳で亡くなる20年くらい前に、かつての教え子と再会した。
そして、彼女には、ミホさんには知られてはいけない心の内を語っている。
ミホさんの望まない言葉は、それが島尾さんの本心であっても、ミホさんに言うことは出来ない。
それが世間に明らかになることを願っていたのか。
息子の伸三さんの言葉。
「すべての人を不幸にしても、書きたい人だったんですよ」
「あの人は死ぬ順番を間違えた。母より先に死ぬべきじゃなかったんです。そうしたら、何だって自由に書けたのに」
最初の言葉は、『死の棘』の状況を招くまでの島尾さん像。
二つ目の言葉は、書いたものは全てミホさんの検閲を受けねばならなかった、島尾さんへの思い。