『小説河内風土記 巻之二』

『小説河内風土記 巻之二』

今東光

東邦出版社 昭和52年

 

巻之二は、全話、夫婦、家庭のお話し。

 

『覗きからくり』。

 

作次は、自分が働く飯場のお金を横領して、人妻に貢ぎ、駆け落ちした。

そして、夫婦で覗きからくり屋になった。

もう、覗きからくりを楽しむ人間など、ほとんどいない時代に。

 

客を求めて、駆け落ちした時に住んでいた町にも、台を引いてくる。

作次が働いていた飯場は、浅吉親分のお兄さんがやっていた。

そこの帳場の仕事を紹介したのは、浅吉親分。

だから、浅吉親分に見せる顔はないはずなのに、草鞋銭をもらうために、挨拶に行く。

 

浅吉親分は作次を許したけれど、恥ずかしくないのだろうかとも、思う。

甲斐性の無い、落ちぶれた人間。

 

でも、今東光は別の面から見る。

「人間はな。自分が幸福やと感じてたら、見栄も外聞もいらんもんや」

 

「わしは彼奴等は幸せな奴やと思うたな。好きなことして暮らしてるやないか。何所の浮世に、おのれの好きなことして満足してる者あるねん。たいがいが皆ぶつぶつぬかして不平不満だらけで、喰うためやの、妻子のためやのと言いもって生きてる奴ばっかやないか。それに比べたら青空の下で、夫婦かけむかいで、のんびりと、朗らかに、

 あなたは上からさがる藤

 わたしゃ下から百合の花

なんて洒落のめして生きてる奴は幸に違いないで」

 

 

『山伏物語』。

 

酒と博奕で身を持ち崩して、泥棒をするようになった青年が出てくる。

彼に、今東光は言う。

「僕はね。君さえその気なら或る親分を知ってるから、そこへ紹介してあげようか。やくざになるなら本物のやくざになるがよろしい。其所でみっちり焼き灼き(やき)を入れて貰ってやろう。どうだい」

 

『覗きからくり』の作次に、浅吉親分は言った。

「わいは、われみたいな奴を、よう極道者にせんよって、必ずわいの家へ出入りせんでくれ」

 

渡世人を勧められる人間と、勧められない人間。

 

『山伏物語』の、青年の最後のシーンはかっこよかった。

けりをつけて、家でする。

そのけりのつけ方が、ストレートでさっぱりしていた。

 

今東光が、青年にやくざの親分を紹介しようと言った時のやりとりは、ちょっと緊張感があった。

育った環境に引きずられて不良になったけれど、元来、かしこい青年なのだ。

 

青年は、家出した後、どんな人生を送ったのだろうか。

 

家出して何処へ行くのかと尋ねる友人に、青年は言う。

「此所ばかりが日が照るかい」

 

これって、「人間到る所青山有り」と通じている。

 

 

岐阜の大垣から河内にお嫁に行った女性の話し。

子供の頃、言うことを聞かないと、「そんな悪い餓鬼は河内へやって仕舞うで」と言われた。

何故なら、「河内では人間を逆さ吊りにして生血を絞って布を染める」と言い伝えられていたから。

 

凄い。