『悪名』

『悪名』

今東光

1960年 「週刊朝日」連載

 

朝吉、17歳~20歳の設定。

 

途中から、こんな渋い10代いないでしょうと思った。

でも、17歳の朝吉は、リアルだった。

 

 

AZUMI説法の、朝吉に徴兵令状届くのくだりは、きっと映画バージョン。

小説では、貞も朝吉も、「天子様のお召しでは」しょうがないと、あっさりしている。

 

小説では、戦争ではなく、ヤクザの道について、多く語られる。

 

朝吉は、ヤクザからも、堅気からも、一目置かれる存在なのに、なんで「悪名」なんだろう。

 

 

松島遊郭のヤクザについて、「無職渡世の博奕打が多く、馬鹿を承知で身を持ちくずしたやくざだった」とある。

 

『妻恋道中』の「馬鹿を承知のおいらの胸を」を、思い出した。

 

股旅物のヤクザは、「好いた女房に三行半を投げて 長脇差 永の旅」だった。

『悪名』の時代、ヤクザは、遊郭に居座って、女郎さんのヒモになる。

 

「馬鹿になる」と、「馬鹿を気取る」の違いかな。

 

 

終盤は、人が亡くなったり、別れがあったりで、少し寂しい。

 

さらに、読んでいる途中で、私にとって、大阪といえばのAZUMIさんが、大阪から退いたのが寂しい。

 

AZUMIさんがどこに住んでも、AZUMIさんのライブが存在すれば、それが私の倖せ。

だけれど、大阪を中心に考えると、寂しい。

 

ずっと大阪が苦手で、ライブに行っても、ホテルと会場の往復しかしなかった。

初めて大阪でのAZUMIさんのライブに行った時、初めて大阪を歩いた。

その時、初めて歩いた街が、九条、松島だった。

 

それからは、大阪でのAZUMIさんのライブに行ったら、街を歩いた。

数回だけれど。

昼間、大阪を歩いて、夜はAZUMIさんのライブ。

それが、私の大阪だった。

 

とても楽しかった。

 

そして、大阪に関係する、AZUMIさんの沢山の歌やCD。

 

…AZUMIさんの音楽やライブが、大阪と私の縁を結んでくれたのか。

 

あ! その後一度だけ、AZUMIさんのライブ抜きで大阪に行ったことがある。

江州音頭の盆踊りのために。

 

でもこれも、AZUMIさんが結んでくれた縁なんだなぁ。

 

 

『悪名』で一番好きな、朝吉のお父さんの無茶ぶり。

「こら、気に入らんかったら、この煙管でどつき廻すぞ」

 

『河内風土記』も、読んでみよう。

 

 

…で、AZUMIさん、何処に行ったのだろう。

次のライブでお会いするのが楽しみ。

 

そういえば、「鈴懸の道」は別れの歌であったような。

大阪との別れの歌で、引っ越すからゴミを捨てる、なのかな。

 

AZUMIさんの大阪との別れは、召集令状を受け取った朝吉みたいでもあるかな。

お琴にも告げず、送別会は断り、さっさと移動。

 

自分の意志を押し通していきるしか出来ない自分の性格。

 

朝吉はちょっとがっかりしていたけれど、私は、お絹さんの別れの仕方、好きだな。