「あずみの森21 特典」

「あずみの森21 特典」

MAGIC ANIMALS

 

楽しく、充実した一時間。

 

この夏は、初夏からずっと今東光さんの河内ものを読んでいた。

何度も、河内音頭が出てきた。

今回、思いがけず、山中一平さん登場。

マンボではなく、レゲエ。

 

あべさんの「えんやこらせ~えどっこいせ」の掛け声、間がいい。

 

「サーカスの終わり」のセッション(?)、気持ちいい。

 

C-RAGさんの歌なのだろうか。

「dancing on the radio」、「エチオピア」、「do the African dance ラジオに合わせて」とか。

何という歌なのだろう。

 

途中で、気が付いた。

AZUMIさん、みんなと演奏している。

あの、一回目の「シャボン玉感謝祭」の引きこもりとはえらい違い。

常吉さんと夜久さんも引きこもっていたけれど)

座ると、引きこもりがちになってしまうのかな。

 

シャブドゥーさんのベース、もっと聴いてみたい。

CDを購入してみたけれど、尺八だった。

前にも、「あずみの森」でmagic animalsの動画を見た。

その時に、シャブドゥーさんのことを検索して、magic animalsの元の名前を知った。

小学校3年生くらいの男の子が考えそうな、名前だった。

 

 

「あずみの森 21」

「あずみの森 21」

 

特集「目で聴くアズミ」 AZUMI NEWS 2009年1月号

2008年12月21日 立道屋でのライブ

 

この約11ヶ月後、私の人生に、AZUMIさんのライブが登場する。

 

 遅くなって会えたのか 会うべき時に会えたのか

 

遅かったかもしれないけれど、会えてよかった。

 

「月刊AZUMI」を映像にした感じ。

演奏前と後のAZUMIさんの様子、演奏前と中のお店の人の様子が、ドラマ性を生む。

 

中目黒と代官山のバックミュージックが、「大正から難波から梅田」。

大阪の街の音はほとんど消えている。

東京の街の映像にも、よく合う。

ライブの準備を終えて、録音機を手に街へ出ようとするAZUMIさん、ちょっと怪しい。

新しい街は、どんな音がするのだろう。

 

 

豊田道倫プロデュース AZUMI「ALBUM」レコ発イベント

2008年11月21日 新宿百人町ロフト

 

おおはた雄一さんの声、好き。

月刊AZUMIには、歌声は無かった。

お二人のギターの合奏、もっと聴きたい。

 

ROIKIさんと飲み約束をしているAZUMIさん、嬉しそう。

 

そういえば、「あずみの森」で、お二人で飲んでいる映像があった。

愛情について良いこと言っていた記憶があるのだけれど、思い出せない。

 

ミチロウさん。

ギターを背負っていないミチロウさんの後ろ姿、初めて見た。

 

行かないで。

 

 

『鳥の詩 死の島からの生還』

鳥の詩 死の島からの生還』

三橋國民

角川ソフィア文庫 平成17年

 

昭和16年、21歳の時に応召、ニューギニアに派遣。

分隊員40人の中で、生き残った2人のうちの1人。

昭和21年生還。

 

三橋さんは、沢山の死に立ち会った。

その死に対して、解説にも書いてあったように、三橋さんは、聖職者や医者のように接する。

 

それも、仕事として割り切ってやるのではなく、相手を思う心がいつもある。

 

過酷な状況で、凄惨な死を何度となく見て、しかも未来は無いも同然。

そんな中で、死にゆく人、死体となった人に、人間としての尊厳を持って接することができる凄さ。

 

 

生きて帰った後、経験したことに蓋をする方もいらっしゃっただろう。

三橋さんは、造形美術家として、亡くなった僚友たちへの鎮魂を表現した。

 

2009年の11月に、『ニューギニア未帰還兵展』へ行った。

そこで、三橋さんの展覧会の図録をいただいた。

そして、『鳥の詩』を読むといいと教えてもらった。

 

やっと読んだ。

 

絵画、「小山伍長自決」の小山伍長と、「埋葬」の同年兵である伊藤(伊島)さんのことが知ることができた。

 

 

「佐治衛生兵の死」で、中隊が全滅する数か月前に抱いた感覚が不気味。

 

ニューギニアのすべての情景は、どこかの歯車が異常に嚙みあい、軋みながら動いている回り舞台に似ているように思われた。

 

四囲に展開している大自然の風物を見つめているうちに、その運航そのものがどこかで少しずつ食い違いを生じていて、異常な増幅を繰り返しているような気がしてならなかった。

 

想像以上に、密林を母体としているニューギニアの自然は計りしれない力を秘めていると思われた。徐々に、ひ弱な集団である人間たちの群れは、その質量の中へ嵌めこまれ、とりこまれつつあるようであった。

 

自然は私たち個々の思考力を狂わせていく。

 

今は、中隊の全員が、四囲をとりまく異常な環境に捕捉されていた。誰もが〈正常な思考に基づき中隊は運営されている〉と信じこんでいること自体が異常であることに気づいていなかったのである。

 

 

「救出」の田口准尉、「サマテ飛行場」の田所大尉。

生還できた後の、孤独。

 

 

AZUMI

2022年8月19日(土)

池袋 バレルハウス

AZUMI

 

4日前のライブは、じっくり浸る感じ。

今日は、激しい。

 

そんな激しい一部の途中、橋の下がよぎる。

橋の下のライブは、きっと激しい系だよねと。

休憩時間に、行けないことはないと思い始める。

終了後、キャンセル予定の部屋があると言われ、決断する。

 

「dirty old town」に続く曲が、好き。

先月、なってるハウスで聴いたのもこれだろうか。

タイトルのある曲なのだろうか。

今度教えてもらおう。

 

「ニュー・ブルーズ・シューズ」、久しぶり。

これは、CD『AZUMI49』で、初めて聴いた歌。

13年たっても、全然、違和感ない。

今度、AZUMIさんの色気について考えてみよう。

今、思い浮かんだ、一番色気を感じる歌は、「夜かもしれない」。

 

   …たった一文字の違いだけれど、「色気」と「お色気」って全然違う。

 

音頭、説法に続いて、「古いレコード」が現れた。

 

「そこにあるところ」、「天王寺」。

街の歌。

「そこにあるところ」の歌詞に、引き込まれる。

歌詞を忘れたのか、少し止まった間も良かった。

ふっと、我に返った。

新しい街の歌を聴くことがあるのだろうか。

不思議な感じ。

 

エレキの音、怖かった。

ちょうど、ニューギニア戦線を体験した方の手記を読んでいるところ。

空爆にさらされる毎日。

 

家に帰って、全然慣れないスマホで、どうにか電子チケットを購入。

そして、祝!半休を取れたよ。

 

 

『春泥尼抄』

『春泥尼抄』

今東光

新潮文庫

 

発端は、河内音頭の盆踊りの夜。

火花のような一瞬のパッションが、教師と児童(!)の間に散った。

 

先生は、教師を辞め、夢を追って東京の大学に入った。

児童は、口減らしのために尼僧になった。

 

そして数年後に、再会する。

 

『小説河内風土記』とは趣の違う、尼僧ものだった。

 

再会した二人は、自分たちは「孤独同士」だと感じる。

そのシーンで、先生がマルチン・ブーバーという人の「孤独」の概念を語る。

 

何を言っているのかは理解できなかった。

でも、二種類の孤独の違いは、ちょっと気になった。

 

事物の体験と利用とを止める、孤独。

すべてのものから関係を断つ、孤独。

 

先生と再会する前の春泥は、前者の孤独の真逆をいっていた。

春泥は、性と愛を、体験と捉え、利用しまくった。

(この頃の春泥も孤独であったと思うけど)

でも、先生と再会し、向き合えた後、体験と利用を止めた。

 

先生は、盆踊りの夜の後、性と愛に関してのすべてを断った。

 

2種類の孤独の違いは、多分、愛と許しの有無だ。

 

『小説河内風土記』の『おんば』の姉妹は、前者タイプではないだろうか。

 

後者の孤独に、『はみだしっこ』のグレアムを思い出した。

サーニンがグレアムに言ったんだっけ?

「自立と孤立は違うんだよ」

 

 

春泥と先生の間にあったのは、恋ではなくて、愛。

だから、恋人同士ではない。

でも、愛人同士と呼ぶと、いけない関係みたい。

愛し合う二人を、日本語では何て言うのだろう。

 

…同志?

 

 

AZUMI

2022年8月15日

鶴間 菩南座

AZUMI

 

イグアナが出てきそうな温度と湿度。

そして、マスク。

 

暑すぎて、「何も考えない」ではなくて、もう「何も考えられない」。

 

AZUMIさんのファンになったばかりの頃、菩南座の「ホワイトソング」と「クレイジーラブ」の動画を繰り返し見ていた。

そして、かっこいいぞと唸っていた。

 

あの動画を撮ったのは、太郎さん。

南座に行っていないなんて、太郎さんに会ったことがないなんてと、言われていた。

 

やっと行けた菩南座

太郎さんにはお会いできなかったけれど。

行けて良かった。

「ふたりの石段」が、嬉しかった。

 

太郎さんは、昭和13年生まれなのだそう。

昭和20年は、7歳。

 

昭和20年の今日、7歳の少年は、何を思っただろう。

 

母と同世代、父より一世代若いけど、同じ時代を生きた方。

「そうか今夜は盆踊りだ」と思った。

 

最後は「鈴懸の径」。

歌詞が、変わったような。

…前の歌詞を覚えてはいないけれど。

 

 

引っ越し先が分かった時、「あをによしブルース」という言葉が浮かんだ。

 

でも、「あをによし」ってどういう意味だったか思い出せなくて、調べた。

 

元来の意味を現代風に訳すと、「WOW! 岩緑青のとれる青土が、たくさんある、奈良だよ!」かな。

 

「土」が、AZUMIさんの「泥」に繋がった。

そして、「青丹」という色が、渋い。

 

年齢を重ねて、「泥」が「土」になったイメージ。

 

 

生な音と歌が、耳福だった。

暑かったけれど、おかげで、しみじみと夜風を感じられた。

 

 

『ポリス・アット・ザ・ステーション』

『ポリス・アット・ザ・ステーション』

エイドリアン・マッキンティ

訳 武藤陽生

ハヤカワ・ミステリ文庫

 

「解説」を読んでいて気が付いた。

「解説」では、歴代ヒロインが紹介されている。

 

2作目『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』のヒロインの名は、エマ。

 

ダフィのお嬢さんの名前は、エマだ。

 

前作『レイン・ドッグズ』の最後に、娘の名前を決めるシーンがあった。

ダフィが「リリー」を提案したら、ベスは却下した。

そして、次にダフィが提案したのが、「エマ」

 

ダフィがこの名前を候補に挙げた理由は書いていない。

でも、なんだか嬉しい。

エマは、一番好きなヒロインなのだもの。

 

 

前作で、ダフィは、確かローソン巡査刑事に、仕事を手放すなと言っていた。

当時の北アイルランドの失業率は、恐ろしく高かったから。

 

今作で、ダフィは、仕事を手放してでも、家庭を守ると決意した。

一番大事なのは、家族の命と生活。

 

これまで読んだ刑事ものでは、殆どの主人公の刑事の家庭は壊れていた。

壊れて、お互いに良かった場合もあるけれど…。

ダフィ一家には、壊れることなく、幸せな家族でいて欲しい。

 

でも、海は渡らないで欲しい。

 

 

スコットランド人ジョン・リーバスは、ビールをチェイサーにウイスキーを飲んでいた。

北アイルランド人ダフィーは、ダブルのウィスキーをチェイサーに、1パウンドのギネス。

ブルガリア人ヤヴァロフは、ウォッカをチェイサーに、ラガーを飲む。

 

修道女が、ダフィに言う。

「では、奥さんの待つ家へお帰りなさい。強いお酒からは距離を取りなさい。アイルランドの呪い、それは強いお酒です」

 

もし、ダフィにパートナーがいない時だったら、修道女は何と言ったのか。

 

 

北アイルランド問題とダフィの年表がついていた。

とてもありがたい。

 

 

ショーン・ダフィシリーズは、全9巻で完結なのだそう。

最後まで発行されて、最後まで翻訳されますように。